アイヌ音楽の調査・研究

AUTHOR

アイヌ⺠族文化研究センター 研究主幹

甲地 利恵

  • 職員の所属・役職は、森のちゃれんがニュース発行当時の情報です。


1994(平成6)年に旧北海道立アイヌ民族文化研究センターに就職して以来、アイヌ音楽の調査・研究に携わってきました。これまで私が主に取り組んできたことの概要をお話しします。

就職直後から10年くらいは、北海道内各地で、当時70~80代の方たちを訪ね、それぞれ伝承される歌・踊りや、それらに関わる昔の体験や伝統行事の記憶などについてのお話の採録(録音・録画)を主に行いました。
お話をうかがった方たちの多くは、物故されています。もっとこういうことを質問しておけばよかった、と悔やまれることも多いですが、今となっては致し方ありません。ともかくも当時の調査記録は許諾を得られたものから順次、公開用の資料に作成していきました。これらは現在、当館の図書室で視聴できます。また旭川と鵡川での調査については、それぞれCD付きの報告書にまとめています。

画像
公開用の資料(CD)
画像
旭川地方・鵡川地方での採録調査の報告書(2005年・2009年)

こうした聴きとり調査と並行して、伝統的なアイヌ音楽の演奏を聞くことのできる、20世紀以降の音声資料の情報収集や内容調査も少しずつ行ってきました。アイヌ音楽を録音した資料があることはそれまでも知られていましたが、ばらばらな情報をどう整理していくかが課題でした。
そうした中から、2018年にはアナログレコード盤が主流の時代に公刊された音声資料27件について「アイヌ音楽の音声資料−公刊されたアナログレコード盤−」としてまとめました。これは当館のウェブサイトにも掲載しています。
直近(=2020年1月当時)では上記の成果を活かし、国立国会図書館のウェブサイトに、戦後間もなく日本放送協会が収録・制作したアイヌ音楽のレコード集(『アイヌ歌謡集』『樺太アイヌの古謡』ほか)についての紹介記事「「歴史的音源」で聴けるアイヌの芸能について」を執筆しました。同図書館では、1900~1950年代頃に制作・発行されたSPレコード盤等の音源を保存活用のためにデジタル化し、「歴史的音源」として同館内及び配信提供参加館(道内では現在6機関(=2020年当時))で公開しています。この記事が、アイヌ音楽に興味がある人はもちろん、初めて聴こうとする人の理解の手助けに少しでもなれたらと願っているところです。

さて、アイヌ音楽と一口に言ってもその内容は多岐に渡っています。広く舞踊や器楽も含まれる中で、私は主に声を用いる音楽、つまり歌について調査・研究をしてきています。
比較的古い時代の録音を聴くと、同じ歌詞を歌っているものでも、現在とは印象の異なる演奏スタイルで行われていることがわかります。なかでも、細かい声の技巧が生み出す多彩な音色は、それ自体がアイヌ音楽の特徴であり、魅力です。このことは現代の若手の伝承者にも意識されていて、昔の録音資料に聞かれるような技巧と味わいを自らの理想として研鑽を重ねる歌い手が徐々に増えてきている、と感じています。
近年よく問われるようになったのは「アイヌの歌らしく歌うための発声(声の技巧)をどうすればよいか」という、実践にかかわる重要なことがらでした。アイヌ音楽の特徴的要素の一つとして、声の技巧については探求解明していくべき課題です。可能なかぎり応える努力はしつつも、歌い手一人ひとりの声の個性や、地域・時代によってもさまざまなスタイルがあることを考えると、簡単に結論できることでもありません。試行錯誤しながら、一つ一つの事例について分析を積み重ねています。そしてそれを、現代における伝統的なアイヌ音楽の学習にどう活かせるのか、どういう方法がより適切なのか、慎重に考えていかねばならないと思います。

声の技巧の要素以外にもアイヌ音楽がアイヌ音楽らしく聞こえる、音楽構造上の特徴があるのではないかと、いくつかの観点から音楽分析を試行してきました。
たとえば、複数の歌い手が異なる高さの音を同時に歌う状態を生み出している曲と形式は、アイヌ音楽の特徴の一つでもあります(「ウコウㇰ」と呼ばれる歌い方は比較的よく知られていますが、その一つです)。こうした音の重なりを生む音楽構造から歌唱形式を大きく4種に分類する考え方を2012年に発表しています。
歌の旋律全体が5拍や7拍や9拍などの奇数拍節でできているものがあることにも着目しました。同じ旋律でも奇数拍に聞こえたり偶数拍になったりなどの揺れも見られますが、2つの声部間で交互に一つの旋律を繰り返す形式との関わりで結果的にそうなるものもあるのでは、という仮説を提示しました(2017年)。ともあれ、奇数拍節の旋律もアイヌ音楽の特徴の一つといえます。
歌詞のアイヌ語と旋律との結びつき方についても分析を進めています。いわゆる歌よりも、物語を旋律に載せて語る音楽の方が、言葉で内容を伝える必要がより高い点で、この問題を考察する対象として適切と考えました。以前にもアイヌの「神謡」と呼ばれるジャンルの語りの旋律分析を行ったことがありますが、しばらく中断していたので、昨年から少しずつ再着手しています。成果を出すのはまだ先のことになりそうですが、博物館内外のいろいろな意見や指摘を仰ぎながら、進めていきたいと思っています。

ところで、これまで私は、楽器による音楽については情報収集に留めていました。楽器は、音楽という無形文化の一面を有形のモノとして捉えることのできる重要な要素ですが、楽器の研究には、音楽学に加えて音響物理学その他の諸学にも知悉することが必要で、単独で同時にできることではないと自覚していたからです。
また、アイヌ音楽(の中でも歌)に焦点を絞っていたのは、研究のための軸をきちんと確立しないまま比較研究に踏み出すのは危険だと自重する気持ちもありました。
しかし最近の音楽学(民族音楽学)の世界的な流れや、アイヌ文化をめぐる状況の変化などもふまえ、楽器も含めた総合的な音楽情報の収集整理や、それを世界的な視野の中で捉える意識も必要になってきました。諸文化における楽器のあり方を手がかりに、それが奏でる音色や旋律の生成にも意識を向けることは、歌の研究にも、また多文化間の音楽の比較研究的視点の醸成にも、活かすことができるのではないか、と考え始めているところです。

  • 参考(引用)文献:注

    *北海道博物館による「アイヌ文化に関する基礎的・総合的・学際プロジェクト」(令和2~6年度)、並びに科学研究費助成事業基盤C(一般)18K01183「アイヌ音楽の旋律分析研究、及び北方諸⺠族の音楽との比較研究に向けた基礎的調査」(2018~2022年度、研究代表者:甲地利恵)

  • 記事のウェブサイト掲載にあたり、一部修正を行いました。