昭和期のホームムービー
―菱昌七関係記録資料より―

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研究部歴史研究グループ 学芸主幹

三浦 泰之

  • 職員の所属・役職は、森のちゃれんがニュース発行当時の情報です。

「小型映画」(small gauge film)と総称される一連の映画フィルムがあります。一般的には、映画館で公開される商業用の劇映画で用いられた35mmフィルムよりも幅の狭いフィルム、つまりは16mm、9.5mm、8mmの映画フィルムのことを指します。撮影や映写が簡単で、劇映画のように大がかりなプロのスタッフは必要なく、映画館のような設備がなくても家庭で誰でも映写出来ることなどが特徴です。なかでも、昭和戦前期から戦後期にかけてホームムービーとして盛んに用いられたのは、9.5mm、8mmの規格でした。

当初主流だったのは1922(大正11)年にフランスのパテ社が開発した「パテベビー」に代表される9.5mmフィルムによる撮影・映写です。その後、1940年代から50年代にかけて8mmフィルムがそれに代わるようになりました。そして、ビデオの開発など、映像技術の進展に伴って、1970年代以降、映画フィルムによるホームムービーの時代は終わりを迎えることになります。

当館の所蔵資料には、道民の皆さんから寄贈いただいた、ホームムービーとして撮影された映画フィルムも含まれています。ここでは、そのような資料の中から、昭和戦前期に札幌中心部の狸小路で「ダイヤ洋品店」を営んでいた菱昌七という人物にゆかりのホームムービーについて紹介します。

菱昌七(1898~1991)は富山県出身。5歳の頃、小樽に転居し、1913(大正2)年に量徳尋常高等小学校を卒業します。その後、兵役に入る20歳の時まで大阪の繊維店へ奉公に出て、兵役後は狸小路西3丁目にあったマルヨ大正屋洋品店に勤めたといいます。そして、1934(昭和9)年11月に狸小路西4丁目にダイヤ洋品店を開業します。しかし、1944(昭和19)年には、家屋強制疎開の命によって廃業を余儀なくされ、札幌西部の円山に転居しました。その後、北海道興農公社、雪印乳業などへの勤務を経て、カメラ(写真も映画も)やフィルムの販売と撮影を主としたダイヤ商会を設立します。カメラ(写真も映画も)が趣味で、親戚が集まった際にはよくホームムービーの上映会をしていたこと、当時、ダイヤ洋品店やダイヤ商会といえば札幌のカメラ愛好家の間では有名であったことも伝えられています。

菱昌七にゆかりの方から寄贈された「菱昌七関係記録資料」は、ガラス乾板、ネガフィルムアルバム、8mmや16mmの映画フィルムなど、75件からなる資料群ですが、その内、8mmフィルムが、別表の通り、50件あります。ダイヤ商会の仕事として撮影されたと考えられる映像も含まれていますが、菱昌七または菱家の関係者によって撮影されたホームムービーが中心です。

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写真1 ダイヤ洋品店(菱昌七関係記録資料のガラス乾板より)

年代的には1930年代から70年代にかけて、特に1950年代に撮影されたものが多く、撮影場所は主に札幌市内とその郊外です。内容的には、例えば、№3・5・6・21・25・27・34・40のように、ハイキングや餅つき、スキーなど、菱家の家族行事の記録が大半を占め、また、公区(戦前期の町内会的組織)や小学校の運動会(№8・10)、札幌神社(現・北海道神宮)の神輿渡御(№12)、雪まつり(№13・18・23・24)など、札幌における年中行事の様子を収めた映像もあります。

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別表 北海道博物館所蔵「菱昌七関係記録資料」にある8mmフィルム
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写真2 別表No.1より
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写真3 別表No.8より
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写真4 別表No.50より

菱家のホームムービーは、1930年代から50年代の札幌における生活文化の様相を、菱家の経験を通じて具体的に知り得る、貴重な史料と言えます。

なお、これらの映像の大半は、デジタル化を行っています。閲覧を希望される場合は、北海道博物館までお問い合わせください。