「甑(こしき)」1300年前の食文化を考える

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研究部歴史研究グループ 学芸主査

鈴木 琢也

  • 職員の所属・役職は、森のちゃれんがニュース発行当時の情報です。

今回紹介する収蔵資料は、約1300年前、(さつ)(もん)文化期に北海道で使用されていた甑という土器です(写真1)。ここでは、この甑を紹介するとともに、当時の食文化を考えてみたいと思います。

収蔵資料の甑は、1959年(昭和34年)に札幌西高等学校郷土研究部により実施された岩見沢市(旧栗沢町)由良(ゆら)遺跡の発掘調査で出土したものです。この調査では擦文文化期の竪穴(たてあな)住居(じゅうきょ)(し)1軒が発掘され、そこから似のほか、長胴(ちょうどう)(かめ)(きゅう)(どう)(かめ)(つき)などの土器が出土しました。その後、これらの土器は同校郷土研究部において整理・保管され、1997年(平成9年)に北海道開拓記念館(現北海道博物館)に寄贈されました。現在、この甑は北海道博物館の総合展示第1テーマに展示されています。

この甑は、小鉢のような形状で底面及び側面下部にいくつかの穴が空けられているという特徴があります(写真1)。その使用方法は、図1に示したように、カマドに据えた長胴甕の中に水を入れ、その上に甑を重ねてのせ、布を敷いて穀物を入れるというものです。このようにして、カマドで火を燃やすと、長胴甕の中の水が沸騰し蒸気が発生します。その蒸気が甑の穴を通して穀物に到達し、穀物が蒸しあがります。

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写真1 甑 岩見沢市(旧栗沢町)由良遺跡出土 左:側面、右上:上面、右下:底面 (年代:8世紀、口径15.0㎝×底経8.0㎝×高さ13.8㎝、収蔵番号:131,775)
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図1 甑の使用方法

ところで、この甑は8世紀の年代に位置づけられる土器です。つまり、約1300年前の北海道には魚や肉、山菜などを煮るだけでなく、甑で穀物(アワ・ヒエ・キビなどの雑穀か)を蒸して食べる食文化があったと想定されます。これは、擦文文化の雑穀栽培のあり方に関わる重要な問題でもあります。

さて、北海道では7世紀から8世紀にかけて土器の器種構成が大きく変化します。7世紀の土器は深鉢、注口土器、片口土器、鉢から構成されますが、8世紀の土器は長胴甕、球胴甕、甑、(はち)、坏、高坏(たかつき)から構成され、本州東北地方の土師器(はじき)の影響を受けた土器文化が北海道に浸透したと考えられます。

8世紀前半を画期として続縄文文化の土器様式が、本州東北地方土師器文化の影響を受けた擦文文化の土器様式へ移行するという変化があり、食文化や生活スタイルが大きく変化したと想定されます。この過程で、甑も北海道に伝わったと考えられます。

甑の評価には諸説があり、東北地方北部から北海道に移動した集団が持ち込んだ「土師器」であるという説、北海道在地の集団が東北地方北部の土器文化を受け入れ製作した「擦文土器」であるという説などが並立した状況にあります。しかし、いずれの場合においても、8世紀前半に甑を使用して穀物を蒸すという食文化が北海道に伝わったことは確実だと考えられます。

その後、8世紀後半ないし9世紀以降の北海道では、甑が使用されなくなります。甑が木製品(穴をあけた木製板のようなもの)に置き換わったとも考えられますが、一方で、食物を蒸して食べるという本州東北地方の食文化が、長期的には北海道に根付かなかったとも考えられます。いずれにしても、約1300年前に本州の新たな食文化が北海道に伝わったことは、画期的な出来事であったといえます。

収蔵資料の甑を紹介し、そこから浮かびあがる食文化について考えてきました。甑とともに穀物を蒸すという本州東北地方の食文化が北海道に伝わったことは、続縄文文化から擦文文化への文化変容の過程を考えるうえで重要な要素となります。甑は、一つの小さな土器ですが、北海道の歴史を復元するうえで、多くの情報を与えてくれる重要な資料であるといえます。