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今回紹介する収蔵資料は、冬に使われる子供用の橇です(夏号ではありますが…)。子供用の橇は遊具ですが、馬橇などは北国の運搬具の定番であり、かつては冬場の重要な交通手段でもありました。そのため、橇そのものだけでなく、製造用具も含めると、北海道博物館には約900点も収蔵されています。
現在でも、冬場には親が子どもを乗せたプラスチックの橇を曳く様子がよく見られますが、行きは子どもが乗り、帰りは買い物袋が載っている、ということもしばしば。橇は遊具でもあり、運搬具でもあることがよくわかります。
写真1の資料は、かつて小樽市稲穂町にあった、とある商店から寄贈していただいた橇です。この形態の橇は「文化橇」といい、大正末期から昭和初期に誕生したものです。木製で、雪の上を滑るズリ木と呼ばれる部分はすべりをよくするため、金属の板(裏金)が取り付けられています。また、橇の足には金属製の輪が取り付けられており、人が曳くために紐を取り付けていたのでしょう。座面の裏には、かつて使用したと思われる女性の名前が書かれています。
写真2の資料は厚岸町で収集した、明治時代から昭和初期にかけて普及した、先端が高い「カナ橇」と呼ばれる形態の橇です。写真3の資料は稚内市で使用された組立式の橇です。いずれも自家製であり、写真1の資料に比べると簡素な作りですが、いずれも座面が割れていたり、板がはがれていたりと、すっかり楽しまれたような雰囲気があります。当館に所蔵されている子供用橇の形態は、概ねこの3つです。
ちなみに、橇を使った「雪辷り(ゆきすべり)」に関する新聞記事は少なくありません。特に橇が人にぶつかる事故が問題となっていたようで、1930(昭和5)年12月25日には、「だから止めなさい 坂辷りの橇、自転車へ衝突三人とも 大けが」や「不埒な坂辷りの橇」という見出しがついた橇による人身事故が報じられています(函館新聞、2面)。これらの見出しからは、すっかりうんざりしている大人たちの顔が浮かぶような気がしませんか?とはいえ、大怪我をした3人は14~20歳なので、橇すべりに夢中だったのは子供だけではないようです。
いつから橇による事故が問題になったかは確認中ですが、1918(大正7)年の1月31日の函館新聞の記事には、雪すべりをしても良い坂が指定されたことが報じられています。このときは函館の幸坂と弁天坂、浅利坂と公園南門坂が許可されているのですが、橇ですべることは「厳禁」とされています。
函館警察署では、子供の取り締まりに難渋したようで、見つけても子供たちが蜘蛛の子を散らすように逃げてしまい、捕まえられないことから「橇辷りは家庭で取り締まって欲しい」と署員が記者にこぼしています(函館新聞昭和5年12月25日、2面)。多くの子供たちが(もしかすると大人も?)スリルを求め、目を盗んでは危険な坂に繰り出していたのでしょう。
ところで、この記事を執筆中、札幌市出身の職員から、子供の頃(平成初期)に橇の代用品として米袋を使った、という話を聞きました。彼は10kgのビニール製の米袋にすべりを良くするため綿を詰め、紐の持ち手を付けたものを使っていたそうです。小学校に上がるまではそれを持って公園に向かっていたとか。米袋もそのうち収蔵資料になるかもしれません。
さらにその職員の話で面白いのは、「きらら397」の米袋だったことをはっきりと覚えているところ。絵柄がかわいかったから、とのことで、特別な一品だったことがうかがえます。残念ながら記録されていませんが、もしかしたら、今回紹介した橇にもそのようなエピソードがあったのかもしれません。
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