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著者プロフィール
1958年生まれ。旭川市出身。1985年より北海道開拓記念館勤務。2015年からは北海道博物館勤務。専門は日本民俗学。 写真:民俗芸能伝承保存会調査 (松前町、撮影日:2022.10.25)
北海道博物館(以下、当館と省略)のホームページ上の筆者の学芸員紹介には、「さまざまな時代や地域を経て北海道に伝わった有形・無形の民俗資料を対象にして、それぞれの経緯や過程を整理するとともに、積雪寒冷地で伝承されている意義とその役割について考察したいと思います」、と記しています。この研究スタイルは、当館前身の北海道開拓記念館(以下、記念館と省略)から大きく変わってはいません。
ただ勤務当初は、専門性のレベルが低く、先輩からの研究指針を頼りに始めた、というのが実態でした。したがって、まずは先輩の調査に同行して、北見地方の曲輸・曲物職人の製作技術を記録する現場の体験、あるいは青森県から京都府まで日本海沿岸地域の建造物や博物館などを巡る旅をとおして学びました。時には突き放されて、初めて単独で道産根曲竹を用いた竹細工の製作技術などの調査をした際には、聞き取りがうまくできず心細い思いをしたことも多々あります。
日常的な博物館活動においても同様で、記念館が開館した1971年前後に集められた生活史資料約1万4千点の内、資料情報が希薄だった小臼・小杵、沖弁当箱、背負具、桶・樽について補足調査をするよう先輩に指導されました。この調査の意図は、各資料の入手方法や用途などを、改めて寄贈者などへの聞き取りをして、資料情報を補充するとともに、「記念館調査報告書」や「記念館年報(後に、紀要)」に公表するというものでした。作業開始後数年は、なんとかデータを補足することができました。しかし、年号が平成に変わってからは、既存資料に直接関わった寄贈者も少なくなり、取得できる情報量が減ったこともあって、この作業は途中で頓挫してしまいます。
また、北海道開拓の村が1983年に開村し、復元家屋の内部展示に向けて集めた資料群、記念館においても1992年の常設展示場のリニューアルに向けて新たに収集した資料群の収集活動に携わる中で、生活史資料は3万5千点に及ぶようにもなりました。この2つの大きな事業に向けて、資料を大量に受け入れた結果、個々の情報は希薄になったものもあります。つまり記念館が開館した時と同じ課題の原因を作った当事者になってしまったのです。恥ずかしい話ですが、事業に追われて資料の情報整備までに手が回らなかったと、改めて自戒しています。いろいろと反省することばかりですが、なかには継続している研究もあります。
現在、筆者は当館の「北海道の自然・歴史・文化」総合研究プロジェクト「北海道における戦中・戦後のくらしの変化に関する聞き書き調査」(2020~2024年)の一員として、積丹町の川下神の祭祀、厚沢部町の民俗芸能、札幌市の女夫龍神について調査をしています。今回紹介するのは、図1に示した川下神です。この神様は、記念館最後の学際的地域調査となった第4次特別研究、積丹半島の自然と歴史調査(1985~1989年)でその存在を知りました。
この神様について『日本国語大辞典』(1994)には、「川祭の一種。兵庫県北部から福井県にかけて、六月末ごろ、川の合流点や川口で行なう水辺の祓(はらえ)行事をいい、神社の祭礼になったものもあり、「裾」の連想から川裾様を婦人病の神とするものが多い。川下祭(かわしもまつり)」とあり、川裾、川下という祭神は、婦人病の神で、6月末に川辺で祭祀する祓行事とされています。現在、祭日は新暦の6月末ではなく、旧暦に合わせて7月末という地域が多いようです。しかし、積丹町の来岸、余別、柾泊、神岬の4地区の祠(図2)に祀られている祭神は、産の神として、正月と8月の各16日に祭祀している点が特徴的です。
筆者は、積丹町の4地区と他地域の祭祀を比較するために、おおよそ40年にわたって調査を続け、道内では小樽市1件、せたな町2件、江差町1件、上ノ国町1件、松前町1件、福島町1件、知内町1件、木古内町3件、北斗市7件、七飯町1件、函館市8件を加えて計12市町31件の祭祀を記録してきました。道外では、先達の調査をもとに石川県で6件、福井県で17件、滋賀県で9件、京都府で22件、兵庫県で66件、鳥取県で3件、岡山県で2件と、計7府県で125件の祭祀を確認することができました。
これらの調査をとおして、祭神の名称には、川子母神、川志母神、川裾神、川濯神、川裙神、河裾神、河濯神、水無月神、水月神など、時代や地域によっていろいろな表記があることを知りました。呼称についても、カワシモ、カワスソ、カワソ、カワッゾ、カワソソなどさまざまです。
祭神は、祓戸の神とする地域が多いのですが、なかには太陽・月・星の三光として寺で祀る地域もあるなど、神仏混淆の形態であることが伺えます。しかも祭神は、自然石や名号の石碑のほか、観音・不動明王・妙見などの仏像や神像などが祀られています。
さらに科学研究費助成事業「西廻り航路を介して北海道に伝播した大祓の祭祀と伝承をめぐる諸問題の民俗学的研究」(2013~2017年、研究課題番号:25370961)では、柳田國男が「石神問答」(1910)で示した「河裾神阿波、播磨川濯明神陸前」の引用文献についても検討しました。まず徳島市では、「阿波志」(1815成立)をもとに、現在の下助任町に河裾神が祀られていたことを確認しました。次に仙台市では、「封内風土記」(1772成立)から、定禅寺境内社に川濯神が祀られていたことも確認できました。いずれもすでに消失しているのですが、その理由のひとつに1872年の廃仏毀釈が影響していたのではと考えています。
一方、積丹町とせたな町の計6件は、1900年代はじめ頃に祭祀されたものです。このように北海道では、他地域が廃れた後でも新たに祭祀しているところが大きな特徴といえます。これまでの調査によって明らかになったことは、祭祀地域は兵庫県から福井県の範囲にとどまらず、西は鳥取県と岡山県、北は石川県と北海道にも祭祀されているということです。かつては徳島県や宮城県でも祭祀されており、日本の広範囲な地域で祭祀されていた可能性も否定できません。
近年、個人や講などが祭祀する小祠の行方について、とりわけ人口減に悩む地域においては、信仰の継承がとても難しくなっています。積丹町においても祭神やさまざまな奉納物の行き場についての相談を受けることが多くなってきました。
また、2020年からのコロナ禍により、祭祀の中止、あるいは図3のように祭日に銘々の参拝に限るなど、祭神を祠から宿に遷して祭祀するといったこれまでの形態が崩れかねない状況です。今のうちに、少なくとも北海道の祭祀状況は、継続して記録していくことが筆者の責務と考えています。
参考(引用)文献:
池田和生1959.川裾雑記.西郊民俗,9:16-19.西郊民俗談話会.
篠田統1979.川裙祭.風俗古今東西民衆生活ノート:193-202.社会思想社.
西岡陽子1977.カワスソ祭考.地域と文化:本位田重美先生定年論文集:321-346
日本国語大辞典刊行会編1994〔1979〕.日本国語大辞典(縮刷版).3:272.小学館.
柳田國男1910.石神問答(1990.柳田國男全集.15:7-200.筑摩書房)