クローズアップ展示0
日本の秋といえばモミジ狩りです.今年は一風変わった化石のカエデでモミジ狩りをしてみませんか?カエデ(モミジ)といっても必ずしも手のひら形ではないもの,現代ではあまり見られない形のものもあることが化石からわかります.巨大な翼をもった果実の化石もあります.カエデの化石と共に過去の北海道の紅葉を想像してみましょう!
北広島市は、ステラーダイカイギュウ、セイウチ、クジラ、貝などの海 にすむ生き物、ナウマンゾウやマンモスゾウ、バイソンなどの陸にすむ生き物といった、多種多様な古生物がみつかる“化石の宝庫”です。これらの古生物は、地球の歴史の中で最も新しい時代である「第四紀(約258万年前~現代)」に生きていました。ここでは、2020(令和2)年に、北広島市で新たに発見されたクジラの化石を紹介します。
植物化石は地味な印象がありますが、不思議な形の古植物の姿や地質時代の森林の様子、陸上の気温や降水量などの気候条件もわかります。そのような植物化石ですが、北海道から豊富に産出することが知られています。また、地質時代の植物が変質して石炭になることも知られています。ここでは新生代古第三紀始新世(約4,000万年前)の植物化石と、同じ時代の石炭を紹介します。
クローズアップ展示1
絵図師・秦檍丸が作製した画集『蝦夷島奇観』。江戸時代の蝦夷地、とりわけアイヌの人びとの姿や暮らしを絵と文章でえがいたこの作品は、「異文化」への関心を呼び、さまざまな画家によって模写されました。その中に男女をえがいた場面があります。男性には「クナシリ島イコリカヤニ肖像」と書き込みが。イコリカヤニとは、いったい誰なのでしょう?いくつかの模写本をくらべてみると、同じ絵なのにちがいが見えてきます。
江戸時代中ごろの北海道にタイムスリップ! 『蝦夷国魚場風俗図巻』には、アイヌの人たちが大きな地引き網を使ってサケをとる様子や、和人と一緒に筋子をつくる様子がこまかくえがかれています。みんなで力をあわせて網をひいたり、サケのおなかを刃物で切ってひらいて、プチプチの赤いたまごを取り出したり…。絵の中から当時の人びとのかけ声や息づかい、にぎやかな声が聞こえてきそうです。
近年、北海道博物館に寄贈された刀を紹介します。いずれの刀も、銘には本州以南の地名が刻まれていますが、刀を所有していた人が残した記録や、刀を受け継いだ人から聞き取った来歴には、北海道に関連するエピソードが含まれています。
クローズアップ展示2
ベースボール(野球)は、明治時代のはじめごろ、アメリカから日本に伝えられました。北海道では、1876(明治9)年に開校した札幌農学校で、アメリカ人教師の指導のもとで行われたのが最初と言われています。それ以降、野球は、スポーツとして、娯楽として、北海道の社会や産業、くらしのうつりかわりと深く結びつきながら、多くの人びとに親しまれてきました。ここでは、近年寄贈された、野球史研究家・白野仁さんの収集資料から、北海道の野球史をめぐるトピックを紹介します。
明治時代になって北海道の開拓がはじまると、新しい生活の場を求めて、さまざまな人びとが移住してきました。そして、その中には、江戸時代に武士身分であった人びとも少なくありませんでした。そのような“もと武士”たちは、みずからが武士身分であったことを心のよりどころとするために先祖伝来の古文書をたずさえてくることがありました。ここでは、北海道博物館の所蔵資料の中から、北海道へ移住した“もと武士”が伝えた古文書について紹介します。
北海道の風景や名産品などをテーマに、江戸時代から昭和時代にかけて作られた双六について紹介します。
クローズアップ展示3
現在の室蘭市の中心部には明治時代のはじめまで2戸のアイヌ民族がくらしていましたが、新道建設にともない郊外への移転を余儀なくされたことが知られています。今回はそのうちの一人、ウピシテクル(和名押杵帯九郎)の足跡を、いくつかの資料をもとにたどります。
北海道博物館の前身の一つは、1994(平成6)年に設立された北海道立アイヌ民族文化研究センターです。2024年度が開設30周年に当たることから、1994年の開設から2015年3月の統合までの20余りの同センターの歴史を、主な事業を中心に振り返ります。
明治10年代後半になると、それまでほとんどアイヌ民族だけが暮らしていた石狩川中流域にも和人による「開発」が及ぶようになります。道路が開かれ、鉄道が敷かれ、新しい村々が置かれていく一方で、そこに住むアイヌの人々のくらしは大きな変化を余儀なくされていました。現在の江別市にあったサノイベという集落の事例から、その一端を紹介します。
クローズアップ展示4
アイヌ語地名研究の第一人者・山田秀三(1899~1992)が、小樽や周辺の地名について調査の記録などをまとめたノートなどを紹介します。
アイヌの楽器「トンコリ」の蔵出しです。今回は、更科源蔵(1904~1985)が収集した五弦琴を展示します。
測量技師として三信鉄道(現JR東海飯田線)の難工事区間の測量に当たり、また後年には自ら記念館を運営した川村カ子ト(1893~1977)、歌人として、また様々な言論活動を担った人として知られる森竹竹市(1902~1976)について、それぞれの足跡と活動の一端を紹介します。
クローズアップ展示5
今では、お祭りや飲食店の看板にみられるだけになった提灯ですが、第二次世界大戦が終わるころまでは、どんな家やお店にも提灯がありました。夜おそくなると提灯を貸し借りして、借りた提灯を返すときは新しいろうそくをそえたといいます。提灯職人は、木枠に竹ひごをかけ、糸をからませ、和紙をはる工程と、特殊な文字や家紋を書く工程があります。その道具と技術をご紹介します。
鋸(のこぎり)は、昔からわたしたちのくらしに身近な道具として、幅広く使われてきました。 このコーナーでは、伐木用、製材用、大工用、細工用、氷切り用などといった、いろいろな目的で使われる、面白い形の鋸をじっくり観察してみましょう。 かつては、鋸をたくさん使った後、切れ味をよくするための手入れ、<目立て>が欠かせませんでした。しかし今は、使い捨ての鋸が広く使われるようになって、<目立て>が行われることは少なくなりました。<目立て>を再現した映像も見てみましょう。
北海道で馬は、高度経済成長期の前まで、農作業では主な動力として、鉄道のない所では主な交通手段として働きました。馬の苦労を顕彰(けんしょう)して、鞍(くら)や鐙(あぶみ)、蹄鉄(ていてつ)などの馬具をご紹介します。
クローズアップ展示6
土俵上の力士たちの熱戦でおなじみの大相撲。現代では興行のイメージが強い相撲ですが、実はもっと身近な存在だったことをご存知でしょうか。 日本の伝統的な武道のひとつである相撲は、神事にはじまり、神社の境内に土俵をつくって秋祭りなどの年中行事として楽しまれたり、学校の授業などに取り入れられたりと、人びとに長く親しまれてきました。 この展示では、私たちのくらしの近くにあった「親しまれた相撲」の姿を、資料をとおして紹介します。
日本における本格的な建築用材としてのガラスは、1800年代後半の西洋文化の流入とともに用いられるようになりました。当初は輸入品が中心でしたが、1900年頃から国内でもガラス製造がはじまり、全国的に普及していきました。1920~30年代には、模様や凹凸のある型板ガラスが製造されるようになり、視線をさえぎる機能性と見た目の美しさからひろく親しまれました。 この展示では、そのような建築に用いられたさまざまなガラスを紹介します。
1971(昭和46)年4月15日、当館の前身・北海道開拓記念館の一般公開が始まりました。連日、多くの方が札幌駅を出発する旧国鉄バス(現在のジェイ・アール北海道バス)を利用して、開拓記念館や野幌森林公園を訪れました。当時の案内によると、札幌駅から野幌森林公園までバス運賃は片道70円、所要時間は約40分でした。中心部から乗れば、ちょっとした小旅行を味わえたことでしょう。ここでは、開拓記念館や野幌森林公園を記念して発売された記念乗車券を紹介します。
クローズアップ展示7
北海道にイタチはいる?テンやイイズナとの違いは?だれもが名前は知っているけれど、あまり見たことはないかもしれません。イタチもテンも胴長短足ですが、とてもすばしっこくて獰猛なハンターです。また、イタチの仲間には木登りや穴掘りが得意な種、川や海にまで進出した種もいます。細長い体でいろいろな環境に適応した、イタチの仲間を紹介します。
中がカラっぽの鳥の骨には、空を飛ぶための秘密がつまっています。飛ぶというと翼に注目しがちですが、今回は胴体に焦点を当てます。胸の骨からトサカのように突き出た竜骨突起は、はばたくための強力な筋肉を支え、U字型の叉骨は、はばたきをバネのようにサポートします。さらに、骨のかたちは飛び方だけではなく、鳴き声にも関係しています。よく鳴くハクチョウとあまり鳴かないハクチョウで、骨のかたちを比べてみましょう。
北海道にはオオルリオサムシとアイヌキンオサムシという宝石のように美しいオサムシが生息しています。赤や青、緑色に輝く色や背面の様々な模様などオサムシの多様性をじっくり観察してみてください。