利尻島の海女

AUTHOR

研究部生活文化研究グループ 学芸主査

会田 理人

  • 職員の所属・役職は、森のちゃれんがニュース発行当時の情報です。

暑い季節の風物詩、トコロテン。お菓子作りに使われる寒天。その原料となる海藻が、テングサです。南の暖かい海のイメージが強いテングサですが、かつては北海道も有数の採取地の一つでした。主な採取地は日本海側。渡島半島、積丹、留萌、利尻・礼文などで、利尻・礼文は国内採取地の北限です。

画像
写真1 利尻産のおみやげ用テングサ

利尻のテングサ漁のことを調べるために文献をめくっていて驚きました。明治20年代後半ごろから、テングサ採取のために三重県から海女たちが出稼ぎに来て、利尻の海に潜っていたというのです。

明治期の『伊勢新聞』を調べてみると、1893(明治26)年7月7日付記事で、前年(1892年)から三重県志摩市御座地方の「海士六十余名」が利尻島へ向け出発したこと、利尻がテングサ、コンブ、ウニの豊富な島であることを報じていました。また、同月21日付記事では、三重県から利尻島に視察旅行に出た人物が、テングサを採るため志摩市越賀地方の海女30余名を伴って利尻にやってきた三重県出身者に出会ったこと、離島の際に志摩市前島地方より来島した別の海女30余名を見たことを伝えています。

海女たちはなぜ利尻島にやってきて、なぜテングサを採ったのでしょう。

明治期の中ごろ、三重県志摩地方沿岸の磯荒れが顕著となり、テングサ資源が減少したこと、中国輸出向け寒天の需要が高まったことで、原料となるテングサの需要が増大したことなどが、当時の志摩地方の海女出稼ぎの要因と考えられます。『伊勢新聞』が伝えているように、利尻の豊かな資源に目をつけて、はるばる海を渡って来たのでしょう。それにしても、利尻の豊かな水産資源に関する情報ネットワークが、遠く三重県志摩地方にまで達していたとは驚きです。

『小樽新聞』1906(明治39)年8月3日付記事によると、海女は、「ポケット付の短褐一枚を被り硝子張の眼鏡」をかけた状態で、らせん状に遊泳して海底に潜り、呼吸の続く限りテングサを採取。ポケットに入れて浮きあがってきて、海面の桶状の容器に入れる。これを「一時間づつ一日三回だけ就業」していたようです。

海中に潜ってテングサを採る海女と、道具を用いてテングサを採る男性たちとの間には、しばしばテングサ資源や利益をめぐる紛争が生じ、海女を排除しようとする動きも伝えられています。利尻では海女によるテングサ採取は昭和初期まで行われたといいます。

スライド画像
写真2 利尻町仙法志地区でのテングサ採り(2008年8月撮影)
スライド画像
写真3 テングサかき(2008年8月撮影)
スライド画像
写真4 三重県志摩市越賀の海とテングサ干し(2009年撮影)

もうひとつ、利尻の海女の活動を探るうえで、興味深い事例があります。1913(大正2)年から1918(同7年)にかけて、北海道水産試験場が利尻島沖合に生息するアワビの増殖を目的に、「種アワビ移殖」試験を実施した事例です。

注目すべきは、この試験を実施するにあたり、水産試験場が試験の初年度にあたる1913年の春に海女二人を雇い入れた点で、三重県志摩地方からこの年に初めて利尻に来島した海女でした。

この年に雇われた二人の年齢は、22歳と23歳。利尻島では沓形村(現在の利尻町)に居住し、テングサ採取に従事していたといいます。故郷では真珠貝の移殖に雇われた経験があり、来道の前年までは朝鮮でアワビ採取に従事していたという経験の持ち主でした。

1918年の試験まで、利尻島の海女が種アワビの採取や、利尻・礼文島沖合への放入に従事していたことがわかりました。

なぜ、移殖試験が実施されたのでしょう。明治期の中ごろ、箱メガネの普及と漁業者の増加はアワビの濫獲を招き、その結果として、北海道のアワビ資源の減少が著しくなったことから、水産当局や漁業組合はアワビ資源の保護・増殖策を講じる必要に迫られていました。1892年(明治25)年の『北海道水産予察調査報告』によると、箱メガネはこの時期に使用されはじめたもので、海底の様子を確認するのにもっとも「簡便」な道具であること、そのためアワビを取り尽くす恐れがあることから「規約」を定めて使用を禁止する地方が多い、と伝えています。1895(明治28)年1月19日の「北海道庁令第2号」によってアワビ採取に規制をかけて、資源の保全をはかることを試みるのですが、良い成果は得られなかったようです。

利尻・礼文島の沖合でも、アワビ資源の減少に歯止めをかけることができなかったことから、水産試験場では次の一手として他の海域で採れたアワビを移殖することにしたのです。

この試験の報告書を読む限りでは、水産試験場側は、海女の手による「のみ」を使って採取した種アワビにこだわりました。「かぎ」と呼ばれる道具を使って、種アワビに傷がつくのを恐れたからです。アワビ採りの経験が、思わぬところで活かされたというところでしょうか。

画像
写真5 利尻町の漁師さんが使用していたアワビカギ(2008年8月撮影)

残念ながら、利尻の海女経験者は皆亡くなられており、当時のことを直接お聞きすることは不可能となってしまいました。それだけに、これまで以上に海女に関する諸々の資料を収集して、北海道の磯まわり漁業と海女の関連を明らかにするため、努力を積み重ねていきたいと考えています。