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著者プロフィール
1976年、北海道札幌市⽣まれ。学⽣・院⽣時代の7年半を仙台で過ごす。2003年より当館学芸員。博物館での担当分野は中・近世史(歴史)。写真は、旅⾏先の台湾(台中市)のホテルで古地図の研究をする私。
私は、最近、サハリン(樺太)西海岸のウショロという場所のアイヌの人たちが働いて稼いだ給料のことなどが詳しく記載されている小さな帳簿を5年かけて分析しました。「5年も」と言った方がよいのかもしれません。
実は、帳簿の存在は15年以上前から知っていました。だけど、当時の私は、帳簿を分析できる能力を持ち合わせてはいませんでした。
私の研究対象(問題関心)は、学生・院生のころから17~19世紀のサハリンの歴史であり、幕藩制国家(江戸幕府)の枠外と位置付けられた「蝦夷地」のさらに周縁部の地域の歴史から日本の歴史を見つめ直すというものです。当時の研究潮流で言えば、「北からの日本史」と「地域史」の研究ブームを掛け合わせたものとでも言えるのでしょうか。
私は、2003(平成15)年に今の職場(旧開拓記念館)に勤めてからも、サハリン(樺太)にはこだわって研究を進めてきました。本来、旧開拓記念館での私の立場は、北海道の中・近世史ですから、サハリンにも視野を広げつつ、北海道のことを中心に、さまざまな各地域のことを満遍なく取り上げて研究しなければならなかったのかもしれません。しかし、サハリンにはこだわりたかった。なぜなら、大学時代のある日本中世史の先生の「歴史家は帰る場所(マイホーム)を作らなければならない」との言葉が強烈に頭に残っていたからです。これは、能登一国の荘園のことはすべて頭に入っていて、それがベースにあるから日本史を読み直すことができるんだ、というある高名な歴史家の事例を解説した言葉でした。核となる研究フィールドを持てという意味でしょう。だから私も、サハリンの、しかも幕末のウショロにこだわりました。幕府のアイヌ政策や越前大野藩のウショロ場所経営、あるいは交易に訪れた人びと(サンタン人)とアイヌとの接触の様相などの問題は、膨大に残る公的文書(箱館奉行所文書)を読めば、いろいろとわかります。けれども、場所経営下のアイヌ社会の構造はよくわからない。それを解決してくれそうな史料は、『北蝦夷地用』という小さな帳簿なのですが、その帳簿は、私の前に大きく立ちはだかった壁でした。
読めない、わからない、つまらない。分析に時間がかかる。研究に効率化を求めるなら、帳簿を使わないで、実績をあげる方が楽です。そんな時、ヨイチ場所の林家文書が当館に寄贈され、資料整理と目録作成の業務が私のもとに舞い込んできました。何とその中には、「土人勘定差引帳」、「番家仕入帳」、「浜中貸附帳」などと墨書された分厚い帳簿も数点あります。「これはすごい史料だ」と思う反面、「これ、どうやって分析すればよいのだ」という不安が頭をよぎります。
そんな折、林家の帳簿に関連して、東京大学史料編纂所の研究プロジェクトからのお誘いを受け、ロシア・サンクトペテルブルク市の東洋古籍文献研究所が所蔵するアイヌの交易帳簿2点の調査の機会をいただきました。この帳簿は、1806-07(文化3-4)年のロシア船によるサハリン島襲撃の際の接収品と考えられるもので、日本国内には類例のない最古のアイヌ交易帳簿です。2010年から12年まで足掛け3年、毎年1週間ほどの行程でペテルブルクへ通い、帳簿の調査に参加させていただきました。谷本晃久さん(北海道大学)や佐藤雄介さん(現学習院大学)と一緒に帳簿の解読を進めるうち、自分のなかでアレルギーになっていた帳簿の読み方や構造が少しずつわかってきました。
2015年4月に北海道博物館がリニューアルし、少し落ち着いてきた2016年から、意を決してウショロの帳簿の研究に取り組むことにしました。研究と言っても、帳簿に書かれてある品物の名前や数字をひたすらExcelに入力する地道な作業です。昔は、撮影した史料写真を紙に印刷し、それを見ながらの作業でしたが、今はそんな原始的なことをする時代ではありません。画像はクラウド上の自分のデータベースの中です。2014年ごろから、自分がよく使う文献・論文や史料、画像をクラウド化し、研究はいつでもどこでも同じ環境で進められるようにしてきました。JPEGもPDFも、放り込んでおくだけで勝手に画像中の文字をOCRしてくれ、必要な時に語句を検索すれば、簡単に検索結果を表示してくれます。今は、20年前にやりたかったことが実現できる便利な世の中です。人文系の研究生活にもデジタル化の波が押し寄せています。
日々さまざまな業務が肥大化するなか、研究時間は自らの手で工夫して確保しなければなりません。学芸員の勤務時間は、種々の事務、あるいは展示・普及行事の準備や利用者対応などに費やされるので、論文執筆時期を除けば、純粋に研究などできません。したがって、ライフスタイルの見直しが必要になります。
研究は、好きだからこそやるものであり、職業研究ではありません。他人からの承認のためではなく、自分のために研究します。したがって、研究は休みの日や勤務時間終了後などにも当然行うものですが、私の場合、2014年ごろから早朝に行い、定時には退勤し、朝の続きを自宅で行うように改めました。仕事が忙しくて研究する時間がないと文句や不満を言う人が増えているそうですが、他人に文句を言う前に、研究とは何かを自己に問い、自らを改革することが必要でしょう。
こうしてライフスタイル見直しとデジタル化による効率化を図り、研究環境を整え、帳簿とそれに関連する研究材料の基盤が完成し、ようやく分析が可能となりました。
帳簿分析をして感じたことは、結果がクリアで、新しいことが必ず言えるということです。最初から結論ありきで論文を書く人もいますが、帳簿分析は、論文を書き終わるまで、結論がわかりません。頗る面倒で非効率だと思っていた帳簿分析は、実は合理的かつ効率的な研究でした。
「研究者の価値は35歳までで決まる」とか「地べたを這っていると、自分から史料を探さなくとも、そのうち史料の方が寄ってくる」などという都市伝説的な言葉を若い頃聞かされました。昔はその意味がさっぱり理解できませんでしたが、今は少しわかるようになりました。「視野が狭い」とか「謙虚に生きよ」とも言われました。時間はかかっても、謙虚に史料と向き合い、マイホームを定め、核はブレずに裾野を広げていくことで、バラバラな自分の研究は一つにつながり、ひろがることを、研究生活20年にしてしみじみと感じる今日このごろです。
■参考(引用)文献(注):
*研究成果については、『北海道博物館研究紀要』第3〜6号をごらんください。