リンゴ農家の農具の収集と展示、その後
ー「掛け袋(左袋)」を探してー 

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研究部生活文化研究グループ 学芸主査

山際 秀紀

  • 職員の所属・役職は、森のちゃれんがニュース発行当時の情報です。

博物館の農具は大切なのか?

博物館資料はすべて、北海道の文化や自然などを伝えるため、過去・現在・未来の道民から預かっている貴重な財産です。それなら何故「農具は大切なのか」と問うかと言えば、博物館施設の収蔵庫で農具はやや雑に扱われることが多いからです。

また、以前から展示場の農業関係展示を見て、アイヌと移住者の対立という見方をする方をしばしば見かけました。しかし、明治以降のアイヌ民族の人達は、農林漁業など移住者と同様の道具で同様の仕事をしていたのです。

北海道の農具は、産(製造者)、学(札幌農学校等)、官(官園・試験場等)、民(移住者と先住民)が総合的に関わった道具として、急速に進歩・発達したものなのです。

収蔵庫には、使用痕(持ち主による使用・改良・工夫・補修などの痕)や紀年銘(製造者名・考案・改良などの文字情報)、地域差(土壌・使用者の出身地・新しい農具の影響)による違いの見られる似て非なる農具が多数保管されています。 「同じようでも同じものがない」とはいえ、資料群として優先的に補完したい資料群もあります。その一つとして、資料の種類が少ないリンゴ関係の農具がありました。

新たな農具を収集しよう

当館では、新しい資料を収集する場合、資料審査会が開かれます。最近は月一回に定例化されていて、館長以下管理職に、資料の価値と意義、展示など活用予定・収蔵場所及び収集と受入作業時間の確保等を説明し、承認後に収集することになっています。

2017(平成29)年に札幌市南区で収集した農具は、四季折々のリンゴ園の農具が揃っていました。「掛け袋」を止める「止め金」の束や手首につける「止め金入れ」など、これまで欠けていた資料が、箱や洗面器のホコリや雑物の中から出てきた時は感激しました。掛け袋(百枚一束)や止め金(千本一束)は、ばらしてクリーニングした後、元通りにして、企画テーマ展「りんご農家の道具」で公開しました。

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四角の「掛け袋」を止める「止め金」(左:調査時撮影、中:収集後撮影)と手首につける「止め金入れ」(右)

りんごの「掛け袋」を調べてみた

掛け袋は、シンクイムシなど害虫から柔らかい実を守るため、リンゴの実に掛ける紙製の袋です。

1904(明治37)年に相沢元治郎(北海道庁農事巡回教師)が東北地方を視察して、翌年、余市町(黒川町・山田町・沢町)でロール紙を針金で止める四角袋の試験が開始されました。

やがて、安価な新聞紙を使った袋に変わっていきましたが、人手がかかる袋掛けには、作業に慣れた東北地方などからの季節労働者を雇うことが多かったといいます。

大正時代には、大江村(現在の仁木町)の下山道(後に余市町に合併、現在の余市町豊丘町)の笹井安太郎が三角袋(後に左袋と呼ばれる)を考案しました。三角袋は後に、高山吉五郎(余市町山田町)が右袋に改良します。 展示会準備にあたり、樹齢百年以上というリンゴを撮影するために余市町の吉田観光果樹園を訪れ、そこで余市・仁木地方に特徴的な三角袋(右袋)と口を止める糊を入れる缶が残っていたのでご寄贈いただき、それらも前述の展示会で展示しました。

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折り紙で左袋と右袋を折ってみた
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掛け袋(右袋=赤、左袋=緑)
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余市果樹園の「左袋」(昭和39年の新聞)

「三角袋」の左袋がほしい!

三角袋の折り方を探して、1922(大正11)年の『北海道農事試験場報告』と1936(昭和11)年の『リンゴ栽培の実際』の図を調べていると、2種類の折り方が違う説明を見つけて、これが『余市農業発達史』にある左袋と右袋かと思い、裏表の色が違う折り紙で折ってみました。そして、実物の左袋を何とか入手できないかと思いました。

そこで、左袋の発祥地である下山道(余市町豊丘町)に行ってみることにしたのです。困ったときの神頼みではないのですが、下山道神社にお参りをして、最初のお宅でリンゴの掛け袋について尋ねてみました。すると、あるリンゴ農家を教えてくれました。その農家で聞き取り調査をして、更に親戚の家を紹介してくれました。

そこには、戦後、日本で最初に農業研修生としてアメリカに農林省の推薦を受けて派遣された宮本晋司(鳥居を奉納した辰蔵の孫)の妹さんご夫妻が暮らしていました。ご夫妻によると、晋司は1954(昭和29)年に帰国したとき、アメリカのリンゴ収穫袋を持ち帰り、複製を作りました。そして、余市地方では特有の収穫袋が広がりました。

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大正5年「宮本辰蔵」奉納の鳥居(下山道神社)

更に、宮本晋司は翌年、日本にまだなかったスピードスプレイヤー(SSと略す)をフォードソントラクターと共に私財をなげうち輸入しました。宮本家は借金生活が続いたそうです。輸入手続きのため、宮本農場は北大農学部嘱託実験農場の指定を受けました。

ところで、掛け袋の左袋は、北大北方生物フィールド科学センター余市果樹園に他の農具と共に残されていました。そこには、リンゴの神様と言われた島善鄰先生と星野勇三先生の頌徳碑が建てられています。

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星野先生島先生頌徳碑(昭和40年建立)

余談ですが、その日本最初のSS(ジョン・ビーン社製)は、埼玉の農研機構農業技術革新工学研究センターに保管されていることが判明しました。日本中の果樹園にポンプで薬剤を加圧して、扇状に高速撒布することができるSSが普及したことにより、手間のかかる袋掛けは併用されなくなり、無袋栽培へ移行したといえます。

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日本初のSS(革新工学研究センター)