- 職員の所属・役職は、森のちゃれんがニュース発行当時の情報です。
著者プロフィール
1994年、東京都出身。早稲田大学大学院で修士を取得し、2018年より当館研究職員。専門は建築史。写真は、サハリンにおける建造物遺構の調査の様子。
サハリンの南部(北緯50度線以南)がかつて日本の領土(樺太)であったことをご存知の方は多いでしょう。では、その当時の建造物が現在でも多く残っていることは知っていますか?
北海道博物館とサハリン州郷土博物館による研究交流事業の一環で、2019年10月14日(月)~28日(月)にかけて、表渓太学芸員とサハリンに調査に行ってきました。表学芸員は自然系調査を行うため、私とは別行動でしたので、ここでは私が行ったサハリンでの建造物調査について少しだけ紹介します[図1]。なお、本記事では冒頭の日本統治の期間を日本統治期と記述します。
実は、サハリンにおける日本統治期の建造物調査は、開拓記念館時代の建築史職員や北海道大学の研究者がすでに行っております。しかし、それもかれこれ20年近く前の話ですので、その後の変遷を確認する必要がありました。そこで、今回の調査では、当時発見された建造物の再訪を中心に、日本では未報告の建造物の発見、そしてそれらの正確な位置情報を獲得することを目指し、サハリンにはどれだけ日本統治期の建造物が残っているか、そしてそれらが現在どのような状態になっているかを探ってきました。調査の際には、上記の調査で記録されたものや、サハリンの研究者が発見した日本統治期の(と思われる)建造物を案内してもらい、調査を進めていきました。
結果として、この調査では廃墟や遺構を含め、約80箇所もの建造物および建造物群を訪問することができました。その移動の経路は、位置情報の記録機器(GPSロガー)を用いて常に記録し、建造物を訪問した際は、スマートフォンの地図アプリを用い、その場で位置情報を残すようにしました[図2]。特に移動経路の記録は重要で、それによって、訪問した建造物だけでなく、調査地の中で通っていない場所も誰にでもわかるようになります。今後、私以外の誰かが調査をすることがあれば、私が行っていない場所を調査していただくことで、日本統治期の建造物を新たに発見できる可能性があります。科学技術の発展はすごいですね。
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さて、日本統治期は、日露戦争後から第二次世界大戦後までの50年にも満たない短い期間でしたが、大正期の製紙パルプ産業や昭和期の炭鉱業の隆盛の影響もあり、広くサハリン南部全体に市街地が形成されていきました。そうした日本統治期の市街地の多くが、道路などの街区を残したまま広がり、建物が建ち替わって、現在のサハリンの街並みをつくっています。実際に街を歩いていると、日本統治期もこのような風景だったのかなぁと、当時の面影を感じることができました。
では、サハリンの街の中にはどのような建造物が残っているのでしょうか。サハリンの中心都市であるユジノサハリンスク(旧豊原)には、日本統治期の建造物が多く残っています。特に樺太庁や日本軍関係施設は、サハリン(ロシア)にとっての重要な施設として再利用され、内装は変わっていましたが、外観はほとんど当時の状態で残っている様子が多く見られました[図3]。
また、樺太各地で建てられた製紙工場も一際目立っていました。当時、複数の企業が樺太に進出し、その工場が市街地発展の基礎になった地域も多くありました。現在では、そのほとんどが廃墟になってしまっていましたが、大規模な建造物を利用して、発電所などに利用されている事例もありました[図4]。市街地を見下ろすように大きくそびえ立つその姿は、製紙パルプ産業の隆盛を物語っているようでした。
この他にも、レンガ造やコンクリート造の建造物は、使われなくなっていようとも、壊されずにその姿を残しているものが多く、「日本製のコンクリートは丈夫で品質が良いため、ソビエト時代に建てられたコンクリート造の建物の方が早く壊れてしまう」といった話も聞きました。また、各地で様々な企業の刻印が入ったレンガを発見し、樺太は建設産業が注目した土地であった可能性を感じました[図5]。
住宅はといえば、軍事関係の将校官舎などの一般住宅に比べ上等な建物がまとまって残り、改築しながら現在でも住まわれている地域がありました[図6]。それに対して、木造の一般住宅は過去の調査時点からも失われたものが多く、数少ない残っている住宅も、屋根が板金で覆われ、外壁がロシア風の板張りに改築され、日本統治期と判別が難しい状況になっておりました。しかし、注意深く観察すると、当時の北海道の一般住宅に多く使われていた柾葺(杮葺)屋根が見えたり、日本の伝統的な屋根構造(和小屋)をしていたりと、日本ならではの技術が用いられている部分が破損部分などから発見でき、日本統治期と推定できました[図7]。
そして、なんと日本統治期の神社の遺構も各地で残っています。ブズモリエ(旧白浦)とトマリ(旧泊居)では、鳥居も残っており、鳥居に向かう階段の新設や、遺構の説明板の設置など、日本統治期の遺構が観光目的で活用されている大変面白い事例を見ることができました[図8]。
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変わりながら使われ続けるもの、廃墟となっているもの、失われてしまったもの、建築史研究を行っている私にとっては、その全てがサハリンの歴史的変遷をたどる手がかりになります。今回の調査で、約80箇所もの建造物と街並みを見て、現在のサハリンの中に、たしかに「樺太」が息づいていることを感じました。そして、当時の建造物を保存し活用しようとする動きがあることも知りました。その波が収まる前に、日本でしかできない資料調査を行い、調査できなかった北西部も訪ね、それらの成果をサハリンに還元していきたいと考えています。
私にとってサハリン研究はまだ始まったばかりです。さらなる研究の発展をご期待ください。