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著者プロフィール
1985年生まれ。北海道苫小牧市出身。2022年から当館学芸員。専門は文化財保存科学。写真は、イギリスのV&A East Storehouse(文化財の保存と公開を同時に行う巨大な収蔵庫)にて。
文化財保存科学とは?
今回は、私が専門としている「文化財保存科学」の研究活動をご紹介します。ほとんどの方にとって聞きなじみのない言葉ですので、どのようなことを目的とする学問分野なのか、まずそこからご説明します。なお、そもそも「文化財」とは何を指すのかについては、文化庁のWebサイトからご覧下さい。
文化財保存科学の目的について、東京国立文化財研究所(現、東京文化財研究所)の所長であった関野克博士(東京大学名誉教授、文化功労者)は、以下のように端的にまとめておられます(関野1964)。
<文化財保存科学の目的>
1. 文化財の構造と材質の究明
2. 内的外的条件によって生ずる変化及び老化の現象を分析し、文化財の保存と修理に役立たせること
3. 光、温湿度、水、汚染空気、害虫、黴菌、震動等の文化財に及ぼす影響の理解とその防除
特に3について関野博士は、「不良環境は老化と破損乃至崩壊の主な原因であり、文化財の保存と修復は、環境の改善を行なうと同時に破損したものの科学的な修理を実施することである」と述べており、「それは病理学における予防と治療の立場に似ている」と書かれています。病理学とは、人間の体の中で起こる変化を見つめ、病気の原因や進み方を解き明かす基礎医学の一分野です。文化財保存科学は、文化財の変化を見つめ、その原因や進み方を理解し、保存と修理・修復(変化に対する予防と治療)に役立てようとしています。
つまり、タイトルにあるように文化財保存科学は文化財を構成するあらゆる“モノの病理学”であり、私が日々取り組んでいる仕事の内容は、先人たちが取り組んできた“モノの病理学”の科学的・技術的知見を根拠とした現場での予防や治療の実践と言えます。
文化財に長生きしてもらうことの意義と業務上の主要な研究テーマ
当館で所蔵している文化財は、北海道民の共有財産です。これらを後世に守り伝えていくことによって、この地に暮らす人々の歴史や文化、自然のありさまを知ることができます。そのためには、少しでも文化財に長生きしてもらう必要があります。そこで、①文化財が変化する原因と進み方を解明すること、②文化財が変化する原因を取り除き変化の進み方を小さくすること、③文化財の修理・修復と保存環境管理を通じて長期保管すること、これらが業務上の主要な研究テーマとなります。文化財を数多く所蔵する博物館や研究調査の現場は、資料に変化が起こる前線に近いため、特に②と③に関する研究活動と現場での実践、そして学会や研究会などを通じた他の博物館や研究機関との幅広い情報共有が重要となります。
モノをむしばむ要因と防除のための具体的な研究事例
ここからは、文化財を構成するさまざまなモノをむしばむ要因と、具体的な研究事例について見ていきましょう。文化財が保存管理上望ましくない方向に変化する要因には、物理的要因、化学的要因、生物的要因があります。さらにはこれらの要因が複雑にからみ合って問題が起きている場合も少なくありません。そのため、たいていは問題解決までに長い時間と労力を要します。今回は私が館内で取り組んでいる生物被害対策と文化財の修理・修復に関する実践の一端をご紹介します。
紙資料を食べる害虫の存在とその防除対策
当館は周囲を豊かな自然に囲まれた環境に立地しているため、季節を問わず多くの虫たちが館内に侵入してきます。虫たちの中には、文化財を食べて自身の栄養源にしてしまう種類のものも含まれており、それらが館内で繁殖しないように早期発見・駆除する必要があります。このほど当館で、周囲の自然環境からとは異なるルートで侵入したと考えられる害虫が発見されました。その虫は、シミ(紙魚)と呼ばれる主に紙を食害する昆虫で、国内初記録(Shimada et al.2022)となったニュウハクシミです(写真1)。
ニュウハクシミはこれまで雌の個体しか発見されておらず、単為生殖(雌が単独で子をつくること)をすることがわかっています。また、2025年11月現在、全国19都道府県にまで分布を拡大していることもわかっています。このニュウハクシミがいつどのような形で当館に侵入したのか、今のところよくわかっていませんが、資料の貸し借りの際に梱包資材等に紛れ込んだ可能性が考えられます。
ニュウハクシミの恐ろしいところは、その繁殖力の強さです。わずか1個体でも侵入され産卵を許してしまうと、その後ねずみ算式に数が増えていってしまいます(計算上は1個体がわずか3年で約2万個体にもなります)。このことが、完全な駆除をとても難しくしています。
当館は文書資料を含む多くの紙資料を所蔵していますので、まずは資料を安全な形で避難させるために、ニュウハクシミが紙資料に到達できないようにする方法を考えました(高橋2024)。これまで、殺虫・殺菌を同時に行える手段として、燻蒸という方法が使われてきました。燻蒸とは、気体の化学薬剤を使って、短期間で一度に害虫や菌類を殺滅する方法です。燻蒸が文化財を守る手段として非常に大きな役割を果たしてきたことは間違いありませんが、化学薬剤に含まれる成分が人体や地球環境に悪影響を及ぼす(強力な温室効果があるなど)ことから、近年生産や販売が相次いで停止されています。このような背景から、今後化学薬剤を用いた燻蒸が実施できなくなる可能性が考えられます。
当館では、化学薬剤に頼り過ぎずに害虫や菌類を制御するための文化財IPM(Integrated Pest Management:総合的有害生物管理)の仕組みを取り入れて実践していますが、これからも積極的に新たな防除方法を研究・開発して取り入れていきたいと考えています。
臨床的な展示資料の修理・修復
当館に隣接する野外博物館北海道開拓の村は、移築復原した建物との調和を目的としたさまざまな修景展示や、人形や動物の模型を用いた生き生きとした生活環境の再現展示が見どころの一つです。このような手法による展示は、開村当時とても画期的で大きな注目を集めたものと考えられますが、すでに40年以上が経過し、展示資料や展示制作物に経年による劣化が見られるようにもなってきました。また、観覧中や清掃中の意図しない事故によって展示物が破損してしまうこともあります。このような場合、可能な範囲で修理・修復を行います(一般的に、高度な技術やさまざまな材料を用いている絵画などの美術作品は、知識と経験を持つ専門家に有償で修理を委託することが多いです)。
ここでは、破損してしまった磁器の修理・修復事例をご紹介します。まず肉眼や顕微鏡などを用いて資料を良く観察します。観察によって得られる情報はとても多く、破断面の状態や破片の接合の仕方を見極めます(外観だけでは構造や状態がわからない仏像など大型の立体物を修理・修復する際には、X線CT装置などの非破壊検査装置が用いられることもあります)。今回修理・修復した資料は、口縁部から高台にかけて大きく亀裂が生じていることが観察できました(写真2)。破損した部分だけを接合しても、底部の亀裂が広がって再度破損してしまう可能性が考えられたため、亀裂部分も補強することにしました。
金継ぎなどで知られるように、磁器は漆を用いて修理・修復することができます。しかし、日常生活で用いる食器としてではなく、文化財として保存・活用する博物館資料の場合には、アセトンなどの有機溶剤で溶解して使用するアクリル系樹脂(パラロイドB72など)を用いることが多いです。その理由として、修理・修復に用いる材料は可逆性(後から修理前の状態に戻せること)のあるものを用いる原則があることが挙げられます。なぜ可逆性が求められるかといいますと、将来より良い材料や方法が見つかった場合に、修理・修復をやり直すことができるようにするためです。
このように、文化財の修理・修復を行う上では、過去の文化財保存科学の研究成果で明らかになった知見を援用し、可逆性を持たせるなど基本的な原則や倫理を守ることが大切です。私自身は、修理・修復技術者としての専門的な訓練を受けた経験はほとんどないため、専門家が作成した文化財の修理報告書や学会などでの事例報告を参照しながら、知識の修得と技能の向上に努めています。
頭と手の両方を動かせる人材を目指して
私が博物館で文化財保存科学担当学芸員として働き始めて3年半が経過しましたが、知識も経験も明らかに不足していると感じています。日々突き当たる問題に適切に対処していくためには、物理・化学・生物などの理化学的な知識や法則の理解にとどまらず、時には統計学や数学などのやや発展的な知識も要求されます。また、今後予防保存的な環境管理を行う者(Preventive Conservator)としての仕事を超えて、修理・修復の理念や技能に関することもしっかりとカバーしていくことが望まれます。さらには、被災した資料の応急処置や安定化処理など、災害前に身に付けておかなければならない事柄も多いです。引き続き自己研鑽を重ねながら、地道に研究成果を積み上げていきたいと考えています。
筆者のこれまでの研究活動内容については、以下のページをご覧ください。
https://researchmap.jp/yoshihisa_takahashi
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引用文献
関野克(1964) 文化財保存科学研究概説.保存科学,1:1-6.東京国立文化財研究所.
高橋佳久(2024) ニュウハクシミに対する簡便な物理的防除方法の開発.北海道博物館研究紀要,9:1-17.北海道博物館.
Shimada, M., Watanabe, H., Komine, Y., Kigawa, R., Sato, Y. (2022) New records of Ctenolepisma calvum ( R i t t e r , 1 9 1 0 ) ( Z y g e n t o m a , L e p i s m a t i d a e )
f r o m J a p a n ,Biodiversity Data Journal 10.