うまい米No.1への歴史 「舟形網」の秘密 

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研究部生活文化研究グループ 学芸主査

山際 秀紀

  • 職員の所属・役職は、森のちゃれんがニュース発行当時の情報です。

今回は、3テーマ「北海道らしさの秘密」の「農業の王国へ」コーナーに展示されている北海道で考案された農具の中の「舟形網」をご紹介します。

高度経済成長期に田んぼの整備が進みましたが、それ以前の北海道は、馬もぬかる湿地で籾を直まきするなど、苦労が多かったと言われています。そんな時代に活躍した舟形網は、全国どこにでもありそうですが、実は北海道らしい農具だったのです。
今では、博物館に展示されている舟形網を見ても、何に使うのか分からない人がほとんどだと思います。しかし、農家の納屋の片隅には、ひっそり残されていることがあります。

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北広島市でつかわれた舟形網
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昭和27年の舟形網(関三雄氏撮影)

この網は、ドロオイムシとも呼ばれることがあります。それは、泥負虫という虫の幼虫を捕る道具だからです。それは、長い木柄の先に底が網になった舟がついた道具です。その網を左右に振って稲穂が実る前の葉をなでると、黒い虫がコロコロと入ります。

泥負虫は、イネクビホソハムシという稲の葉を食べる寒地の害虫です。
俗にドロムシ、ドロコ、ドロカツギ、カツギ、ドロカブリ、クロスケ、フンムシ、ベロムシとも呼ばれます。それは、幼虫が泥みたいなものを背負っているからです。その泥は、実は自分のフンなのです。
成虫で越冬した泥負虫は、5~6月に水田の稲を食べつつ葉上に産卵、生まれた幼虫も葉を食べ、繭になり、7~8月に約4~5mmの成虫になります。

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泥負虫(『北農試彙報』47 昭和3年)

舟形網は、その幼虫を捕るための道具なのです。1910(明治43)年、北海道農事試験場(北農試)渡島支場で、支場員が考案しました。舟形網以前は、ホウキや棒などでたたき落としていたそうです。
1928(昭和3)年の『北農試彙報』には、上面・側面・前面・後面から見た舟形網の図を載せていて、当に冒頭の写真のとおりです。

北海道内には、55の博物館施設で舟形網が展示され、収蔵庫内の資料を含めて100点ほど確認できます。内、約6割が木製枠、約4割が金枠です。泥負虫は冷害の年に被害が多いことから、試験研究が本格化しました。1931(昭和6)年には、新種としての学名が認められました。化学薬剤の研究が進みましたが、農家では舟形網を使い続けることもあったようです。小平町では、「稲の葉を傷めないように手で取った」という人もいます。

千歳市の昭和一桁生まれの農家の方は、「昔は水田が1町5反あって、泥負虫を網(舟形網)で、早朝3~4時の暗い頃から8時頃の露の消えないうちに、ガンガン(1斗缶)の半分ほど捕ったんだ」と雑草を稲に見立てて使い方を実演してくれました。

北海道大学などが行った食味試験で、最高ランクの評価を幾つも得ている北海道米ですが、今に至るまでには長い歴史があったのです。