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「冬でも、家の中では半袖で過ごすことがある。」といった“あるある”を語られるほど、北海道の住まいは冬でも快適な温度を保つことができます。しかし、それはあくまで現在の話。北海道の住まいは、冬の寒さとの戦いの中で発展してきました。
明治期に本州以南から北海道への移住が本格化した頃、夏を涼しくすることを求めた伝統的な日本の住宅では、北海道の厳しい寒さの中でくらしていくことは非常に困難でした。そこで、開拓使は積極的に欧米の建築技術を取り入れ、寒さに耐える住まいをつくることを目指しました。そうした取り組みの成果が、開拓使の廃止以降、大正期にかけて徐々に庶民の住宅へも広まっていきました。北海道開拓の村には、ちょうどその時代の建物が移築復原されています。これらの建物に多く見られる、板を少しずつ重ねた外壁(下見板張り)や、ガラス窓、ストーブなどの特徴は、そのような影響によるものです(写真1)。
その後も北海道の住まいの発展に向けた研究開発が少しずつ進みますが、大きな転機となったのは、第二次世界大戦後すぐのことでした。昭和22(1947)年、北海道知事となった田中敏文は、北海道の気候に適応するための「寒地住宅」の開発を重点課題に挙げ、行政が主導して住宅の改良を進め始めたのです。そこでは、防寒性能の向上による快適な空間の創出とともに、耐火性能や戦後の資材不足における森林資源の保全などを考慮し、木材に依存した住宅からの脱却を目指しました。その中で、「コンクリートブロック」(写真2)を主構造とした住宅が採用され開発が進み、昭和20年代後半に「三角屋根住宅」と呼ばれる住まいがつくられました。昭和3~40年代には、三角屋根住宅が建ち並ぶ風景が各地で見られるようになりました(写真3)。こうした北海道における住宅改良の過程が、総合展示第4テーマ「私たちの時代へ」に展示されています。
さて、三角屋根住宅における防寒性能は実に合理的に考えられています。まず、コンクリートブロックを積み重ねることで、隙間が生じないようにし、凸凹の無い外壁によって表面積を小さくすることができるため、外壁から熱が逃げていくことをできるだけ防いでいます。また、内部の間取り(図)は、廊下を少なくコンパクトにすることで、中央に置かれたストーブが住宅の内部全体を暖めやすくしています。さらに、できるだけ外壁の表面積を小さくし、かつ部屋を増やすために、屋根裏を二階として利用します。そこで、三角屋根住宅の名のとおりの急勾配な屋根によって、屋根裏の二階を広くしつつ屋根への積雪も起きないようにしています。まさに北海道の気候風土に合わせた住まいができあがったのです。
北海道における住まいの発展は、ここで終わりではなく、田中知事時代の昭和30(1955)年に設立された北海道立寒地建築研究所(現在:北海道立総合研究機構建築研究本部)の並みならぬ研究のもと進められ、現在の北海道の暖かい住まいにたどり着きました。