総合展示第3テーマ「北海道らしさの秘密」四季のくらしに展示している「げろり」について

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研究部生活文化研究グループ 学芸員

舟山 直治

  • 職員の所属・役職は、森のちゃれんがニュース発行当時の情報です。

北海道博物館の来館者サービスには、おもに展示観覧前の解説として、講堂で行う学校団体向けのグループレクチャーがあります。私は、展示を担当した3テーマの「四季のくらし」や「三等客車」を中心に、年に数回ですが、小学校3年生や4年生に向けて解説をしています。

このグループレクチャーの持ち時間は20分から25分程度ですが、学芸員の専門性など個性がでるものです。私の場合は、移住者の衣食住、三等客車の乗客が着ている防寒衣、ストーブや除雪具のいろいろ、冬の遊び道具などについて、時間に追われながら解説しています。そこで時間が押していたとしても必ず紹介しているのが、標題にあげた「げろり」です。

画像
「げろり」(下駄スケート)、収集地:稚内市、収蔵番号4,040

「げろり」は、周辺に15点余の展示物があって、目立たない資料といえます。しかも、資料名の語感だけでは、実物と結び付かないものでもあります。見た目からは、写真のように、下駄にブレードを組み合わせたスケートと解釈できます。しかし、現在では、名称から下駄スケートを連想できる人はいないでしょうから、つい死語となった資料として一押ししてしまいます。

写真の「げろり」は、1969(昭和44)年に稚内市から収集したものです。当館の前身にあたる北海道開拓記念館の「収蔵資料台帳」や「生活分野記録票」の名称には、堂々と「げろり」と記され、その後の追書きに「(下駄スケート)」と補足されています。50年ほど前には「げろり」という言葉を知る世代が博物館にいたのだなと、思いをはせますが、私は不分明でした。

この「げろり」という語彙は、『日本国語大辞典』によると、「氷滑りや雪道滑りのための下駄」と記されています。しかも同辞典によると、「げろり」の呼称は、『北海道方言集』(1955)だけではなく、『民間服飾誌履物篇』(1933)には福島県会津地方、『福島県方言辞典』(1935)には同県浜通地方、「信州佐久地方方言集」(1941)には長野県佐久地方で採録されています。『東信濃方言集』(1976)によると「げろりい」、「げろりん」という呼称が長野県佐久地方にみられるようです。「げろ」という呼称は、『野辺地地方言集』(1936)には青森県上北郡、『東信濃方言集』(1976)には佐久地方で採録されています。一方、私自身、1993(平成5)年に青森県で水神調査をした際の野帳に、東津軽郡平内町で「べんじゃ」、上北郡野辺地町で「きんぺい」、当時三戸郡南郷村(現八戸市)で、「走り下駄」の呼称を記録しています。ただ、このような氷雪滑りの名称やその分布は、これらの地域に限らず雪国一帯に伝承されていた冬遊びの民具と考えています。

「げろり」について、『北海道開拓記念館常設展示解説書6』(1978)には「ゲタスケート、ゲロリ、ベッタリなどと呼ばれ、げたの裏にかじ屋で作ってもらったカスガイをうちつけたようなもの」とあります。また、『とどまつ』(No.4、1993)には、次の説明があります。

(前略)下駄スケートとげろりとが元来同一のものかどうかは明らかではない。また、げろりという言葉は、長野県、福島県、青森県、北海道などで使われる方言であるが、その語源は不明である。
げろりという言葉が文献に出現するのは安政元年(一八五四)で、箱館御役所から「げろりそりで坂をすべる子供の遊びは危険なのでやめるように」というお触れ書が出ている。また、それより五十年ほど前の箱館、松前の風俗を記録した「蝦夷島奇観」には、子供たちが下駄を履いて坂をすべる絵が描かれている。(後略)

このように、「げろり」と下駄スケートの形態や名称の語源についても実は不詳です。しかし、事実として確認できることは、18世紀末の道南地方では、下駄履きの坂滑りの様子が絵画に描かれていたこと、また19世紀中頃には「げろり」などで坂滑りすることが禁止になっていたということです。

坂滑りの場面を改めて見直すうちに、「げろり」の形態は、『日本国語大辞典』にあるように、氷雪を滑るための「下駄」そのものだったのではないか、と考えるようになりました。その答えの手がかりは、写真の下駄裏の船底型にあるのではないか、とあたりを付けているところです。ただし、この説はすぐにこけるのかもしれません。