約19万件の資料を所蔵する当館。その収蔵庫では時に思いがけない発見があります。写真の石を見つけたとき、私の頭の中は疑問符でいっぱいになりました。そのとき私は地学分野ではなく、生活分野の信仰に関する収蔵スペースを見ていたのです。いったい、この石はなんなのでしょう。
資料の記録票には、寄贈者や受入年月日とともに「移住の際、郷里の思い出として持参した石。」と記録されていました。しかし、それ以上の詳しい情報はわかりません。そこで、寄贈者を手がかりに、この石の来歴をたどることにしました。
資料受入時の報告書を調べると、寄贈者は新篠津村に住んでいた人物だとわかりました。さらに、新篠津村に関連する図書の中に、寄贈者とこの石に関する重要な情報を見つけたのです。
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江別町(当時)の医師、村上政雄は、明治時代に新篠津村袋達布(ふくろたっぷ)を開拓した父の足跡を後残すため、1950(昭和25)年に『ある開拓者』という本を出版しました。同書には、開拓の頃の生活について、袋達布の古老たちへ聞き取りをおこなった内容も記録されています。この話者として寄贈者の名前がありました。寄贈者は明治中期に北陸地方で生まれ、その翌年に父母に連れられて袋達布へ移住したようです。同時期に袋達布へ移住した伯父家族について寄贈者が語った中に、この石に関する言及がありました。
手塚斧太郎(寄贈者の伯父)と其の父は、福井県三国から小樽まで、約一ヶ月もかかって来道した。(中略)三国から手土産に、小石を持って来てくれた。永いこと、大事にしてしまってあったが、何時の間にか、それが見えなくなっていた。何処へいったのかと思っていた。私が村上さん(村上政雄)の、小屋壊しの手伝に行き、小屋の屋根の上に、ごろんとのっかっている石を見つけ、これおれの家のだから―と持帰ったのが此の石である。―だえん形、鵞卵大の、円滑な石を持って来て見せた。[村上 1950]
※旧字体・旧仮名遣いは、新字体・現代仮名遣いに改めました。
ここで触れられた石は、その特徴から当館の収蔵資料と思われます。寄贈者の伯父が福井県三国(現在:坂井市)から渡道する際に手土産として持ってきた石であったこと、そして一度紛失していたこともわかりました。後に近隣の小屋の屋根上にあった石を持ち帰ったとありますが、移住の際に持ってこられた石と同一であるのか、真相は彼のみが知るところです。
このエピソードからは、郷里から持ち伝えられた石に対して、特別な想いがあったことが明らかです。生まれて間もなく北海道へ移住した寄贈者にとって、郷里とのつながり、そして袋達布へ移住し開拓を進めた父母や伯父たちと自身とのつながりを確認するためのものがこの石だったのかもしれません。だからこそ、一度紛失を経験したものの、再びそれを見つけ出そうとしたのではないでしょうか。
移住者たちは、郷里をしのぶ様々なものを生み出しました。例えば、郷里から取り寄せた樹木を自宅の庭などに植え「望郷樹」とした事例が、道内各地で見られました[野田 1980]。このように、移住者たちは郷里と自身とをつなぐ「心のよりどころ」を求めていたのです。
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この寄贈者は晩年、北海道開拓記念館(当時)資料調査協力員として当館の資料収集に寄与するとともに、この石以外にも多くの資料を当館に寄贈されました。現在、総合展示・第3テーマには寄贈者の修業証書が展示されています。
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参考(引用)文献
野田正光 1980 『北限に生きる望郷樹』北海道新聞社。
村上政雄 1950 『ある開拓者』富貴堂書房。