
1987年生まれ、鹿児島県出身。2016年より北海道博物館にて学芸員として勤務。写真は浦幌町でガンガン部隊に関する聞き取り調査を行っているところ。
本当に新しい?デリバリーサービス
新型コロナウイルス感染症は、私たちのくらしを大きく変化させました。そのひとつが、デリバリーサービス需要の拡大です。札幌でも会社のロゴが入ったリュックを背負い、自転車で配達する人や、出前専門店のバイクを見かける機会が増えました。また、各種通販サイトを利用して商品を購入し、自宅まで届けてもらうというサービスも、もはやインフラといってよいほどくらしに浸透しているのではないでしょうか?
スピード感は様々ですが、そもそも商品を家に届けてもらうという行為自体はそれほど新しいものではありません。各地で聞き取り調査を行っていると、今のデリバリーサービスとはちょっと異なりますが、かつて家には様々な商品を持って訪れる人が多数いたことがわかります。例えば配置薬の確認に来る販売員(売薬さん)。来た時にもらえる紙風船が楽しみだった、という方もいらっしゃるかもしれません。布団や宝石を売りに来た人がいた、という話も聞きます。このように家に物を売りに来る人たちの中でも、私が研究対象としているのは特に「ガンガン部隊」と呼ばれた人たちです。

ガンガン部隊はどんな人?
ガンガン部隊は、特に戦後から昭和の終わりごろにかけて、主に魚を売り歩いた行商人を指します。名前の由来は、その多くが、金属製の缶に荷物を入れて運んでいたため、という説がありますがはっきりしたことはわかりません。同じころ、本州以南でも「カンカン部隊」と呼ばれる、魚を売り歩いた行商人がいたそうです(山本志乃 2015『行商列車〈カンカン部隊〉を追いかけて』)。
私がこの人たちの存在を初めて知ったのは、2018年頃のことです。新十津川町在住の女性から、「戦時中に小樽から鉄道を利用し、新十津川まで魚をもってきて米と交換した“ガンガン部隊”の女性がいた」、というお話をうかがったのが始まりです。その後、江別市野幌や倶知安町でも、鉄道を利用して小樽方面から個人で魚を運び、それを売ったり米と交換しに来た女性がいたという話を度々耳にしました。ただしその女性の呼び方は「ガンガン部隊」でも「(氏名)さん」でもなく「小樽のおばさん/ばあちゃん」「塩谷のばあちゃん」でした。「ガンガン部隊」という言葉はおおよそ行商する人の総称で(缶を使っていなくてもガンガン部隊と呼ぶ例もある)、個別具体の人たちを指す際はどうやら「地名+年齢や性別といった属性」で呼んでいたようです。
彼女たちは戦後しばらくも魚を小樽方面から運び、倶知安町内で売りさばいた後、野菜を買って帰っていったそうです。また、「カツギ屋」と呼ばれる人たちもおり、この人たちは戦後の物資不足の頃にヤミ物資を運んだといわれています。ただし、ヤミ物資以外を行商する人も『カツギ屋』と呼ぶ場合もあり、両者の違いは明確ではありませんが、とにかく地域において小規模な流通を担う人々について掘り下げてみよう、と、出かけた先では必ずガンガン部隊や行商人について聞くようになりました。

行商人の思い出をたどって
2023年からは、浦幌町立博物館の持田誠学芸員の協力を得て、浦幌町内でガンガン部隊および行商人に関する聞き取り調査を開始しました。ただし、現役の行商人がいなくなって久しいため、行商人本人やその人から魚などを購入していた人への聞き取りは難しく、現在は主にその子ども世代を対象としています。
ここまでの調査で、複数の地区にガンガン部隊や様々な行商人がいたことが確認できました。吉野地区では、昭和36(1961)年頃に「ガンガン部隊の母さん」一人が来て、駅を出て広場のようになっているところに運んできた荷物を広げ、魚などを売っていたそうです。
一方、ほかの複数の地区では、魚の行商人はこれまでの結果とは異なり「男性だった」「おじいさんだった」という例が聞かれました。また最も意外だったのは、町内でガンガン部隊あるいは行商人たちが売り歩いていた魚は、浦幌町内にある厚内漁港ではなく、釧路方面で水揚げされた魚だった、という話です。厚内地区在住で魚の行商をされていた方も、朝早く鉄道で釧路まで行き、魚を仕入れて浦幌町内まで運び、売り歩いていたそうです。
魚も、生魚ばかりでなくぬか漬けやみりん干し、かまぼこなどの加工品があったそうです。吉野地区の状況を教えてくださった男性いわく、昭和30年代半ばくらいまで、魚は日常的に食べるものではなく、主にガンガン部隊の母さんが来た日の夕飯に出ていたそうです。彼女が魚を売りに来た日の夕方には、駅近くの鉄道官舎の家々で夕飯用に魚を焼くため、においが辺り一面に漂っていた、という話もあり、魚の並ぶ食卓がちょっとした非日常だったことがうかがえます。
行商人が運んだもの
ガンガン部隊も含む行商人たちは、それぞれいつも扱っている物以外にも、頼まれればよそから様々な商品を持ってきてくれたそうです。
また物ばかりでなく、倶知安町では、「小樽のおばさん」から結婚相手を紹介してもらった人がいる、という話もありました。単に物を運んで売るだけではなく、買い手と何か/誰かをつなぐ、そんな役割も“ガンガン部隊”は担っていたのかもしれません。
この夏の特別展「みんなの鉄道−がんばれ!地域の公共交通」(7月20日〜9月23日)では、鉄道の歴史とともにガンガン部隊も含めた、鉄道にかかわる“人”も紹介します。ぜひご覧ください。