樺太警察部の辞令

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北海道研究センター(人文系) 学芸員

石子 智康

採用や人事異動の際に渡される辞令。現代でも辞令交付を行う行政機関や民間企業もあり、辞令を受け取ったことがある方も多いのではないでしょうか。今回は、当館にも収蔵されている辞令についてご紹介します。

写真1は、1923(大正12)年、樺太庁から北見庸蔵へ交付されたもので、「樺太庁巡査ヲ命ス/月棒三十六円給与」とあります。樺太庁とは、戦前期に日本が領有していた樺太において、1907(明治40)年に設置された行政機関です。樺太の警察は、樺太庁警察部として、樺太庁内の一組織でした。近代日本の警察は、犯罪を未然に防ぐことを目的とした行政警察が中心であり、そのほか刑事警察、思想や民衆運動、新聞検閲などを取り締まる高等警察、医事や衛生分野など、警察の職掌は多岐にわたっていました。現代よりも、民衆の生活空間に深く介入し、対内的な治安維持を担っていたといえます。

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写真1:樺太庁巡査へ任命する辞令
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写真2:樺太庁巡査を免ずる辞令

では、辞令を受け取った北見庸蔵とはどのよう人物であったのでしょうか。北見は1896(明治29)年生まれで、北海道庁警察巡査(1921 ~ 23)、樺太庁警察巡査(1923 ~ 1930、写真1・2)を務めた後、札幌師範学校にて剣道師範を務めた人物です。樺太庁警察部在勤時の1929(昭和4)年には、昭和天皇の即位を記念し開催された「御大礼記念武道大会」に樺太代表として出場しています。この記念武道大会府県選士部門では、北海道および各府県に加え、台湾、樺太、朝鮮、関東州でそれぞれ予選が行われ、勝ち抜いた代表が出場する大会でした。各代表51 人が一部から八部に分かれた総当たり戦が行われ、北見は第八部に出場し、5戦5勝。第八部で優勝しています。当時の新聞では、「物の見事に粉砕し直ちにがい袖一触新版図のため万丈の気を吐いた」とあり、北見のコメントとして、「僥倖です全く運が良かつたんでせう、たゞ一生懸命です」と紹介している(東京日日新聞北海道樺太版「見事五人を倒し/天晴れ天覧試合へ」、1929 年5 月5 日付)。翌日、昭和天皇臨席のもと、各部の勝者によって行われた「天覧試合」で、準決勝まで進出し、惜しくも敗れています。

今回は、樺太庁巡査の辞令を紹介しました。単なる1枚の辞令ですが、人物の背景には、歴史的事象との関わりがあり魅力的な資料だと個人的には思っています。

また、当館の近隣にある北海道開拓の村には、今回ご紹介した北見庸蔵と関わりの深い「旧札幌師範学校武道場」が保存されています。そちらにも足を運んでいただけますと幸いです。

  • 引用文は読みやすさのため、旧字体を新字体に改めています。
  • 参考文献:

    大日本雄弁会講談社編『昭和天覧試合』、大日本雄弁会講談社、1930 年
    長谷川吉次編『増改訂版北海道剣道史』北海道剣道新聞社、1986 年
    『警察協会雑誌』346 号、警察協会、1929 年